〜南洲翁遺訓〜 Reader瑞季Vol.93

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南洲翁遺訓

★どんな本

現在も多くのリーダーが
「最も尊敬する人物」として挙げる
西郷隆盛の考えを
知ることができる『南洲翁遺訓』。

同書を編纂した荘内藩は、
江戸市中取り締まりの任にあった際、
江戸薩摩藩邸を焼き討ちにした経緯もあり、
報復処分を覚悟していた。
しかし、維新後、
同藩に対して武士道に則った
寛大な処置がとられ、
それが後に、西郷隆盛の内示だったことを知り、感銘を受けたという。

その対応に尊敬の念を深め、
荘内藩有志によってまとめられた
『南洲翁遺訓』は、
著書を残さなかった西郷隆盛、
唯一の「著書」ともいえる。

本書は、41項目と
追加2項目の43項目からなることばを、
テーマごとにまとめ、
インタビュー風のわかりやすい現代語訳と、
西郷隆盛を理解する上でかかせない
歴史事実や重大事件について解説を加えた。
天を敬い、人を愛した西郷が残した
珠玉のことばは、
混迷の時代のいまこそ読んでおきたい。

★読書のきっかけ

○日本史上稀に見る人格者西郷隆盛の生き様に触れる。

○平成を生きる自分たちも志士となれるか明確な志士の生き様に触れ理解する。

★どんな著者?

松浦光修さん
昭和34年(1959年)、熊本市生まれ。
皇學館大学文学部を卒業後、
同大学大学院博士課程に学ぶ。
専門の日本思想史の研究のかたわら、
歴史、宗教、教育、社会に関する評論、
また随筆など幅広く執筆。
現在、皇學館大学文学部教授。博士(神道学)

★学び

①人を見極めぬ生き方。

「人を採用する時に、“君子 ”と “小人 ”を、
あまりにも厳しく見わけて、
徹底的に “小人 ”を排除しようとすると、
かえってよくないことが起こるよ。

なぜ私が、そういうことを言うのか、
わかるかな?
それはね … …、
人類の歴史がはじまって以来、
人の世の中では、十人のうち、
七 ・八人くらいは “小人 ”だからだよ。
なのに『これも “小人 ”だ、あれも “小人 ”だ!』
と言って、みんな排除してしまったら、
最後には仕事を任せられる人が、
誰もいなくなってしまうじゃないか。
だから 、リーダーは、
それらの “小人 ”を、
じっくりと観察して、
その人物の秀でたところを
見つけなくちゃならない。

そして、その人物にふさわしい
小さい仕事を任せて、
その才能や技術を発揮してもらうように
すればいいんだよ。

本当の教育とは人を選ばずに人を育てること。
僕はそう思っている。

そう言う意味ではまだまだ
自分の教育の力量のなさを痛感する。

人を選ばずに人を育てられてこそ、
真の指導力、真の教育力のように思う。

同じようなことを吉田松陰も言っている。

吉田松陰は

「能力のない人はいない。
ただ、そこに能力を活かせない
指導者がいるだけ。」

と。

この言葉も痛いほど自分に伝わったが
同じように西郷さんの言葉も
痛いほど伝わる。

まだまだ教育とか言いながら、
人を選んでいる自分がいる。

裁いている自分がいる。

もっともっと大きく。
全ての人を活かす生き方の器を持つ。

②男らしい男

男らしい男なら、
自分の志を貫いて、
その結果、たとえわが身が
宝石が砕けるように砕けても、
それを誇りと思い、その逆に、
自分の志を曲げて、
その結果、わが身が古びた瓦のように
長持ちしたら。それを恥に思うものである。

私の家族への遺言を、
誰か知っているであろうか?
それは、“おのれの子孫のために、
よい田園を残して遺産にするような、
そんな小さな心はない ”というものである。

もしも私が、
ここに書いた言葉とちがう生き方を
しているようなら、
『西郷は、口では立派なことは
言うけれども、
やっていることはそれとはちがうじゃないか』
と言って、人間として
見捨ててもらってもいいよ」

昔から英雄と言われている人たちは
皆同じことを言い、
皆同じことに生きている。

例えば、この言葉で思い浮かんだのは、
昨年の大河ドラマでも話題となった真田幸村。

彼は、恩ある君主豊臣を護るという
信念のためならわが身が宝石が砕けるように
砕けてもそれを誇りとした。

だからこそ徳川家康に
どんな地位や名声、
領地やお金、
ましてや命を助けるという
甘い誘惑にすら
心傾くことなく、
大敗しか見えぬ戦にも自らの命と
仲間の命を賭けて戦った。

そう言う生き様が400年の時を超え
未だ英雄と言われる所以。

西郷さんも同じ。
その生き様が正に侍。

③敬天愛人の生き様

西郷さんと言えば、
この四字熟語、「敬天愛人」である。

それに関して西郷さんはいう。

「人が正しく生きる道というのは、
何も人工的に “つくられたもの”ではなくて、
人の上に天があり、
人の下に地があるように、
ごく自然に、もとからあるものだから、
人というのは、
素直にそれにしたがっていれば、
おのずから正しく生きることが
できるものなんだよ。
だから、生きていく上では、
ただひたすら “天を敬する ”
ということを心がけていればいいのさ。
天というのは、他人も自分も、
同じように愛してくださるものだから、
私たちも、天の心と自分の心を一致させて、
自分を愛するのと同じように、
他人を愛することだね」

西郷さんは元来性善説に生き、
人の自然体こそ正に正しい状態と思っている。

見識者であればあるほど、
偉人であればあるほど、
思想が偏っていない。

常に自分の見てる世界も
他人の見ている世界も
フラットな目で、
知覚は人の数だけあることを知っている。

天は悪人の上にも善人の上にも日を昇らせ、
天は悪人の上にも善人の上にも雨を降らす。

良い意味で平等に何かをしてもらったから
何かをし返すということもない。

常に天のように心フラットに
明鏡止水の境地で、生きるために
あえて、天を敬するとし、

天ならば他人も自分も分け隔てなく
愛するのだからこそ、
そのように自分も他人も愛するとした。

なんとも無理がない、
自然の原理原則の理にかなった生き方。

だから西郷さんは言う。

「人を気にせず、天を気にすることだ。
人生と言うのは、
“天だけが本当に自分のことを知っている”
と考えながら今自分にできる限りの
事をしていけば、それで良いものなんだ。
もしも、うまくいかない時があっても、
決して、誰かを責めたり、
何かを責めたりしてはいけないね。
そう言う時こそ、
“自分の誠”がまだ足りないのではないか?
と自分の心を省みなければいけない。

やっぱり本物は格好いい。

全て自分が源。

言葉は人を活かしも
殺しもする。

だが、言葉は情報にすぎない。

その言葉をどのように受け取るかの
「受け取り方」が
人を活かしも殺しもするのである。

責める人生ではなく、
誠を尽くす人生。

決して何かのせいや、誰かのせいにせず、
全ては自分が選んでいるという前提。

これは過去も今も英雄が大切にしている生き方。

この言葉からも西郷さんの徳の高さが
受け取れる素晴らしい言葉。

指導者はどんな人をも受け入れられる
大きな人物になり、
逆に人に認めてもらわねば生きられないような
小さな人物になってはいけない。

誰かから認められる生き様ではなく、
己が認められる生き様を貫く。

そして、西郷さんは続ける。

「正しい道を進んで、
それをまっすぐに貫いて、
その結果、“国ごと斃れてもよい ”、
というほどの覚悟で臨まなければ、
外交を、立派になしとげることはできないね。

相手の国が強いから…大きいから…
などと言って、小さくなって、
ことを荒立てまい、
ということばかりを考えて、
主張すべきことも主張せず、
相手の言うことに
『ごもっとも…ごもっとも』
と従っているばかりでは、
だんだん相手から、ナメられるようになるよ。
ナメている相手はカサにかかって、
こちらに要求してくるよね。
けれども、こちらにも限度があるから、
それで結局のところ、
わが国の国民には不満感が高まっていき、
かえってその国との友好関係が、
いろいろな局面で実質的に破綻していくんだ。

それでも相手の言うことに
『ごもっとも、ごもっとも』
と従うようなら最後にはどうなる?

最後には相手の国の支配下で
生きていくしかない。

そんな国に成り果ててしまう。

リーダーとしての覚悟の違いを感じる。

この当時世界の89%の国は欧米列強の脅威に
晒されて支配されていた。

そこに強い姿勢で、誠実な姿勢で
戦った侍たちを指導したのが
西郷さんの生き様。

如何なる外的要因があろうとも
自分の誠の選択に生きる。

この生き様が100年の時を超えて
未だ語り継がれる西郷さんの生き方だ。

★こんな人にオススメ

*指導的立場にある人
*自分の生き方を定めたい人
*歴史が好きな人
*言行一致の生き方をしたい人

etc…

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